大昔にmovable typeで書いていたブログを勉強がてらwpに移行する為だけの、個人的なことをごにょごにょ色々試したり試さなかったりしてるサイト。特に有益な情報は何もない。

管理人について

武山忠司

武山忠司。1979年岐阜生まれ。武蔵野美術大学卒業。沖縄在住。

仕事は2008年からウェブとデザインとイラストの株式会社机をやっている。そして2018年から和菓子屋 羊羊 YOYO AN FACTORYを始めた。

仕事のご相談は24時間365日受付中。

それをデザイン会社創業当時から何となくキャッチコピー的にうたっていた。だがいまやそんな事いってる会社には誰も寄り付かない。かつて24時間働けますか?なんて歌っていたモックンが斎藤道三になっている時代である。

じゃあ次の標語は何が適当なのか、そんなことを思っているうちに、デザイン会社は12期になってしまった。売上も減らなければ特に増えもせず。いや微増か。雪山でスキーを履いて初めて「あ。ここに傾斜があったんだ。」と気がつくくらいの傾斜で微増した。その緩やかな傾斜を誇ろう。

仕事とは関係ないが、この12年で結婚して離婚してまた結婚した。子供はすくすく育つ。

これまでの歩み

大学卒業後、就職氷河期真っ只中だったのかどうかはよく知らない。でもどこにも新卒入社できなかった。このままじゃ半年で家賃が払えなくなる。俺は焦った。

卒業直前いやもしかしたら卒業後だったかもしれないが、募集をみかけて飛びつくように応募したNHKの外郭の番組制作会社に4月から務めることになった。業務委託契約なんて当時はかっこいいと思っていたが、よく考えたら何の補償もないただの日雇いみたいなもんである。雇用保険すら入っていたのかどうか怪しい。

そこでBS健康番組のAD兼地方遠征カメラマンとして働いた。これがまた日本全国飛び回れて大変楽しい1年だった。よく考えたらこの仕事で沖縄にも中継に来ていたのだが、まさかその後自分が住むなんて夢にも思っていない。

その後、1年で番組自体がなくなったため、制作会社との契約もなくなる。

その後は、健康番組スタッフ時期からほそぼそと始めていたデザイン業に本腰をいれフリーランスとして活動を始める。そんなすぐに食えるようになるわけでもないので、お金がない時は、派遣社員をやったりバイトをしたりしながら生きていた。そしてお金が溜まったら旅行に行く。楽しい日々。そんなこんなで20代前半が過ぎていく。

20代後半以降へ続く。

また気が向いたら続きを書く。